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古川諒子 個展

「私の知るX夫妻について」

 

Gallery RYO

東京都渋谷区神宮前2-31-1

2021.11.20 sat - 12.11 sat

私の知るX夫妻について

私の知るX夫妻は、いつも穏やかであった。喫茶店で、彼らの住む家の話を聞いた。ソファに机、大きな浴槽があり、夕飯を食べながらその日のニュースを見るのが日課だという。

しかし私は彼らの家に訪れたことはない。どのように過ごしているかも知らない。

 

私の知るX夫妻のうちの一人は、元はyという名前だった。どちらが名前を変えたのかは知らない。彼らの家の表札は、もうじきxから違う名前に変わるそうだ。

 

私はまだ夫妻という関係を築いたことがない。なので、もしかすると私が話したあの2人は夫妻ではなかったのかもしれない。しかし、彼らのいた痕跡はある。

私が知るx夫妻は、いつも穏やかで、ほんとうに存在していたのかわからない。

今回古川が取り組むのは、住宅になぞらえて設計されたスペースを会場にした絵画と物語、虚構と現実を一つの経験に集約させて提示する、絵画体験の可能性を模索する実験です。

 

 スペースそのものをタイトルにもある「X夫妻」がかつて暮らしていた家と設定し、会場には夫妻が使っていたであろう調度品が並べられ、壁には二人の生活風景を描いた絵画がかかり、そこかしこに一組の家族の残り香があります。とはいえ、あるのはどこまでも痕跡であり、肝心の二人の姿はおろか、夫妻の委細を知る手立てはなく、夫婦の珈琲の豆の好みはもちろん、二人は本当に夫婦なのか、今はどこにいるのか、どうして引越したのかもわかりません。ただ会場には痕跡だけがはっきりと、そしてひそやかに示されるにとどまっています。

 

 会場に並んだ完全に空想の夫妻の生活を描いた絵画は、古川の作品の特徴の一つを生んでいる、支持体を水に濡らしながら描くという技法によって制作されています。濡らされたことによって絵具が留まらず、流れ、モチーフの輪郭が崩された作品群は、彼女がかねてから捉えようとしている現実と虚構がオーバーラップしている状態の、茫漠とした肌感覚を如実に体現するものですが、彼女は今回の「空想の夫妻を描く」という行為を、まさにそうした手法によってやってのけます。

 

もともと、古川が絵画において焦点を当てていた一つは、特定の誰か、あるいは何かにまつわる記憶や痕跡を出発点に、それの直接的な経験者ではない古川が絵画化(=虚構化)することでリテリングする、というものでした。そうしたエスノグラフィー、もしくはドキュフィクションにも似たアプローチをとりながら、しかし古川は逆に、つまりある事実の断片から全体を演繹することではなく、むしろその断片から新しく物語を紡ぎ出そうとします。現実から虚構を生み出し、それを発表というかたちで再び現実に持ち込む古川にとって絵画とは一種のリミナリティを語るための言語でなくてはならず、今回の試みはその一例とも言えるでしょう。

 

 会場を訪れたひとは、おそらくその隅々に残された夫妻の痕跡を目で拾いあげる最中、あるいはその終わりに一つの体験をしていると気づくはずです。古川の絵画に向き合った際に訪れる、画面のそこかしこに点在するモチーフの気配を手がかりに何かを導き出そうと試みる、まるで霧がかった野原や街頭を明晰な意識をもったまま彷徨うような不可思議な思考感に似た、特別な体験をしていることに。そしてそれは、彼女の試みであるところの現実と虚構の往来であり、かつ自分が夢にいるのか現にいるのかが曖昧な状態、逆に言えばそのどちらもを睥睨できる地点に立つことであり、二重性を帯びた思考を持つことでもあります。その一瞬の浮遊感、どの世界にも属していないような爽やかな孤独感が、古川の絵画の魅力の一端と言えるように思うのです。

​奥岡新蔵(編集者)

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Fragment

455 × 380mm 

Acrylic on cotton

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Husband is sitting on the couch

282 × 375mm 

Acrylic on cotton