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Pacific is made of silver

太平洋は銀製

SOLO EXHIBITION

会期 : 2023年1月13日 - 2月5日

時間:14:00〜18:00(金土日)

会場 : ヒロセコレクション

広島県広島市中区千田町3-9-10

photo : Kensuke Hashimoto

絵画が作り出される、その創造力の源泉は何処にあるのだろう。もし「創造する力」と いうものが作者の頭の中だけにあるならば、瞬く間にそれは枯渇してしまうだろう。例え どんな巨匠でも、自らの外から着想を得て絵画を描いてきたことは言うまでもない。水は 蛇口を捻れば涸れることなく湧き出るものではなく、必ず水脈から引いてくる必要がある。 では、その水脈はどこにあるのだろう。創造的な絵画を描き続けるためには、何から着想 を得れば良いのだろうか。私はその答えが《タイトル》にあると考えている。

この世のあらゆる絵画には、必ずタイトルが付けられる。作品にタイトルを付ける慣習 がなかった近代以前の作品にさえ、後世の学芸員・画商・コレクターによってタイトルが 付けられた。現代では一般的に作者によってタイトルが付けられ、それは描かれた内容や、 作者の主張の表明、あるいは表明しないという主張などを意味している。そしてタイトル に求められるのは、絵画の案内人として、あるいは作品の味わいの増幅装置として、または、 絵画の別の見方に光を当てる照明係などの役回りといえるだろう。しかし、ここで注目す べきなのは、絵画とタイトルの間にある「作品が先にあり、タイトルが後に付けられる」 という序列の存在である。タイトルは常に作品に付随するものであり、それ単体では存在 しえない。ただ、タイトルも一種の言葉と考えれば、「詩は絵のように、絵は詩のように」 ともいわれるように、本来それらに覆らない序列などないはずだ。例えば「ひまわり」と いう言葉からゴッホの《ひまわり》を思い浮かべる人もいれば、一面のひまわり畑を想起 する人もいるだろう。あるいはひまわりにまつわる思い出が蘇る人もいるだろう。すなわ ち言葉にはイメージが伴う。だとすると、タイトルとしての言葉のイメージを描くことは 可能であり、当然タイトルが先に立つ絵画制作のあり方も存在しうる。《ひまわり》という タイトルを先に決め、それに見合う絵を描くということはつまり、タイトルから着想を得 たことに他ならない。言い換えると、絵画制作の創造性をタイトルに担わせるということだ。 ここで生まれるのは、「創造性のあるタイトルを無限に生成できれば、創造性のある絵画も 無限に描くことができる」という方程式である。しかし、タイトルを創造するためにも、 やはり自らの外に創造力の水脈をもつ必要がある。その方法論として、私はハサミを持ち、 既に誰かによって書かれた文章を切り刻み、並び替え始めた。

本展では、私が大学受験の時に使用していた英単語帳を切り刻んで作成した文章を作品 のタイトルとしている。その一例が「太平洋は銀製」である。

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