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8月14日

今は個展の準備で心身ともに追い込まれている。絵って難しい、と子どもみたいな考えに支配されて何も進まない。絵以外のものは概ね準備ができたので、もう何も考えずに絵を描くしかない。で、この何も考えずって本当に考えていないんだろうか。私は本当に何も考えていない。「次この色、乾かしている間にこの絵を描く」とは考えている。が、思考しているとは言えない。さっきまで考えていた「婦人像」は後景化し、影も形もない。(《婦人像》に関する展示をする)アトリエでは、焚き火のパチパチする音をスピーカーに繋げて聴いている。サラウンド・パチパチ。たぶん何も考えない方がいいと思っているのだと思う。あたちンちをBGMにするには面白すぎる。

8月13日

信じがたいが、今はお盆。流石に一ヶ月は続くと思っていた。もう毎日は諦めて書けた日だけにしよう。しかし、この日記は福尾匠のものを参照したものだ。毎日書いていたからこそ意味があるのではないか。

個展に関してのエッセイを書いた。会場で配るべきかは悩むが、自分のために書こうと思った。始まりは小磯良平への憧れから始まったが、次第に批判すべきという考えに変わる。が、画集を眺め作品を制作しようとすればするほど憧れが強まってくる、という内容のエッセイだ。その絵に、その女性の美しさに憧れ、私の理想の世界はここだとも思う。しかし、同時になぜその理想の世界が美しいと思うのか、とも問い正したくなってくる。すごく簡単にいうと「女性の描きかたがなっとらん」という話だけど、じゃあそのなっとらん描かれ方をされた女性に対しても「なっとらん」と言いたいわけではなく、美しいと言いたくなる。

私は、サザエさんを約15年欠かさず録画し、週に何度も見返している。渡鬼も好きだし、ジュリーの「カサブランカ・ダンディ」をカラオケで歌い、「紳士は金髪がお好き」を擦り切れるほど見た。旧体制依然としたものが好き、つまり男女の役割がはっきり分かれているものが好き「だった」のだ。だって、妻へのプレゼントが夫による家事の代行だったり、働きに出るのに夫や義夫の許可がいる世界は恐ろしい。その慣行が変わろうとする動きには心から同意し、良かったと心の底から思う。「あの時代は良かったよね」と肯定したいわけでもない。私は一体なにに憧れ、なにを否定したいのだろうか。

ここまではエッセイに書かなくてもいいと思うが、この憧れと嫌悪は制作に大きく関係しているように思う。民俗学者の宮本常一の今とは違う習慣を持つ過去へのアプローチは、「あたたかい否定」と評されることが多い。その言葉を引用するとすると、私の小磯への感情は、つめたい憧れといったものだと思う。否定したいという感情を強くは持てない。

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7月6日

トークイベントに着ようかなと思ってる服を着て出社。なんとなく予行演習のような日。夜は長谷川あかりの豆腐そうめんを作ってみた。下半期に入ったがこれから忙しいのが確定しているので、変に浮き足立つ気持ち。乗り越えられるのかと胃が痛いけど、気づけば年末なのだと思う。

7月5日

銀座に搬入へ向かう。50号をかかえて日曜日の電車に乗るのは初めてですこし緊張する。思ったより混んでいなかった。新橋で降りて会場までしばらく歩く。ビルのガラスに映る自分が想像してたより、なんかでかい荷物もってる!という姿で気恥ずかしい。北千住で色々物色するけど目当てのものが見つからず、結局最寄り駅で見つかった。

寝る前にふと10年前バイトしていた広島のTSUTAYAはまだ存続しているのか気になって検索してみた。その店は潰れていて、横川駅に新店舗ができていた。新店舗というより本屋の名前がTSUTAYAに変わっていただけかもしれない。昔のバイト先は、1階がDVDレンタル、2階がCD、3階がゲームとなかなか広かった。土日しか出勤しないということで採用されたはずが、なぜあいつは他の曜日に働かないんだと他のスタッフに陰で言われたことと、カップルに「壇蜜の『私の奴隷になりなさい』ってどこですか?」と訊かれたのが嫌すぎてやめた。それからマジでTSUTAYAでは借りてない。

7月4日

七月上旬の新宿末廣亭は、神田伯山が主任を務める。寄席に関して初心者すぎて、前売りがあることも、もし買えなかったとしても昼前に整理券が配られることも知らなかった。

7月3日

​7月に入ったのでモンテ=クリスト伯の一巻と二巻を読み直し始めた。今後の展開を知っている状態で読むと、序盤の幸せに溢れた描写に泣いてしまう。何人もの許せない人々が現れる。最初読んだ時はヴィルフォールが一番許せないと思ったけど、読み直すと今はカドルッスしっかりしててくれよと思う。でも、ボナパルト派だと勘違いされることを恐れるのは何よりも怖いことなんだろう。ダングラールはほんまにあかんやつや。不思議とフェルナンにはそんなに腹が立たない。

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7月2日

昼間に小磯良平の画集が届く。状態がよく、これでようやく制作が進みそう。

夜には友人とポークステーキを食べに行く。この友人とは同僚でもあるので、私だけが友人だと思っていう可能性もある。友人と同僚の関係性のグラデーションは反復横跳びのように変化する。右片足は友人の位置に置いたまま、左半身は職場にいる時には、その関係にそぐわない話法で話してしまうこともある。ただ、職場でないところで会う時には、右足も左半身も友人の位置にいることができるので安心する。

言ったことは本当になったりするよねというような内容を話し、私が「じゃあ毎朝、私は明るいって言ったら本当になるのかな」と言ったら、「これ以上明るくなってどうすんですか」と返される。自分のことを暗い人間だと思っていたので嬉しくなって、その後何回も「私って明るいの?」と訊いてしまった。

7月1日

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ふたたびお茶の水の歯医者へ。良い患者でありたいと思う心の動きはなんなんだろう。

三省堂書店で言語哲学の本を数冊と、ようやくウィトゲンシュタインの『哲学探究』を購入。ようやくというのは、『哲学探究』の精読会に通っているためだ。このところ、名指しや言葉の意味といった問題は、制作や哲学を学ぶこと、そして仕事の3点を繋ぐ線となり、ついには輪になったようだ。これまで作品のために本を読んでいたけど、今は理解するために作品を作っている。理解するには遠回りで、作品作るのが遅いのもそれが理由かもしれない。

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